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教養講座
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第5回教養講座報告
第5回事務局主催の「教養講座」が、11月17日(土)開催されました。今回は、講師に会員の山本弘さんをお迎えして、「相州藤沢の古道」と題して1時間半お話を戴きました。21名の会員が参加しました。山本講師は、新江ノ島水族館で展示解説ガイド及び藤沢の観光ガイドをやれていることから今回の講座となりましたが、質疑に30分近くも取り「次の機会に是非続きを」とのお願いをする大盛況での散会となりました。
日ごろ、私たちが何気なく歩いている道が、古代(平安時代)から中世(鎌倉時代)、近世(江戸時代)へと整備され、変革されてきたことに、気づかされました。 東海道は、今でも藤沢を貫く重要な「道」ですが、古代、律令制度の行政地域区画「五畿七道」の「七道」の一つとして整備され、中世以降は、京都と鎌倉を結ぶ軍事戦略的な要素と流通・経済の両面で重要視されました。
近世・江戸時代には、藤沢は、「藤沢宿」を中心に、信仰・観光地としての大山、江の島、鎌倉を結ぶ「大山道」「江の島道」「鎌倉道」が賑わったといいます。この他、「八王子街道」「厚木道」「田村通大山道」「柏尾道大山道」「中原街道」などが江戸時代「相州」の重要な道でした。これらは、今も私たちには大変身近な道です。
「古道」には、また多くの石仏が見られます。「道標(みちしるべ)」「一里塚」「道祖神塔」「庚申塔」「お地蔵様」「観音様」「馬頭観音」などです。写真とともに幾つかの石仏の紹介がありました。最後に江戸時代の道の定義と道幅等、普段何気なく見ているものの歴史的背景をあらためて解説された感慨も一入でありました。
講座に使用されたプレゼン資料をお借りしましたのでこちらのpdfに変換したものをご覧になって下さい。なお、同資料の中に紹介されています「ゑのしま道の江の島弁財天道標」に記載されています元禄時代の関東総検校の杉山和一にも触れられました。
また、明治15年の藤沢の左イメージの地図が紹介されました。この地図は、それ以前の「絵地図」と違って、現在の国土地理院発行のものと同じ様式をとっています。この地図は、明治初期の藤沢の道を教えてくれるだけでなく、125年前の私たちの住んでいる町や川がどのようなものだったかを教えてくれ大変興味深いものでした。地図には「藤沢停車場」と東海道線が入っていますが、東海道線の開通は明治20年ですから、その直前の建設中のものようです。
曲がりくねった引地川やその河口の位置、鵠沼といわれる広い地域の大半が田畑と砂地だったこと、まだ江ノ電も小田急線もない時代へ想いを馳せることができました。因みに、江ノ電は明治35年、小田急は昭和4年、モノレールは昭和46年の開通、辻堂駅は大正5年の開設ということです。次には、機会がありましたら、皆さんでこの中の「古道」を歩いてみたいと思います。
右のイメージに延喜式内相模十三社めぐりの案内をご紹介しますので、参考にされてはと思います。
注)「延喜式」とは、後醍醐天皇の延長五年(927)に編纂され、冷泉天皇の康保四年(967)に施行された五〇巻より成る法典。詳細はこちらをご覧頂くとして、延期式内社は全国で2,861社であるが、神奈川県下相模国には十三社が揚げられており、いずれの社も千年以上の歴史をもつ由緒ある古社であるとのことです。これも新たな勉強になりました。
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